民主労総前北本部 22期訪日団
10月16日から22日の日程で民主労総全北本部8名の同志が訪日。神戸から淡路、明石、大阪の各地で日韓労働者の交流が行われた。
アジアスワニー闘争を契機に始まった日韓労働者交流は今年で27年。民主労総結成後(1996年)、日韓民主労働者連帯と民主労総全北本部との定期労働者交流は今年で22周年。相互の労働者が訪韓、訪日し交流を続けてきた。
■様々な交流ができた大きな成果のひとつ■
17日、「関生支部結成日の集い」に参列。団長である全教組総務組織部長からの挨拶を受け、19日には関生支部表敬訪問、関西労働者安全センターとの交流会に出席した。20日には沖縄集会、不当弾圧糾弾!大阪府警本部前抗議行動にも参加。力強いアピールをもらった。21日は大阪朝鮮高級学校訪問、鶴橋フィールドワークも行った。
今回の訪日団と同行するなかで、私たち自身が普段話すことのない多くの人たちとの交流ができたことも大きな成果のひとつだ。
■韓国の民衆のように大衆運動で変えよう■
ろうそく革命でパク・クネ政権を倒した韓国民衆だが、労働環境は十分に改善が進んでいないのが現状である。パク・クネ政権時代に法外労組に指定された全教組は現在、ハンスト闘争継続中である。
しかし彼らは、「ダメならまた変えればいい」と少しも悲観していない。私たちも労働組合、市民団体、また世界の労働者と連携し、戦争政策を進める安倍政権を打倒し、国民のための政治を取り戻そう。、
●アジアスワニー闘争●
㈱スワニーは、香川県に本社を置く、当時世界ブランドであった手袋メーカーである。低賃金で雇用するため、1972年韓国の益山に工場を設立、女性労働者を多数雇用していた。しかし、より安い労働者を獲得するために230名全員を解雇、工場を閉鎖、中国に工場移転を図る。FAX一枚で労働者全員を解雇という会社の対応に労働者が激怒、労働組合を結成した。しかし工場閉鎖により抗議対象を失った労働者は窮地に陥る。当時20才過ぎの5人の女性労働者が、決死の覚悟で日本遠征闘争を挙行した。その闘争に日本の労働組合が共鳴し支援。解雇撤回はできなかったものの謝罪。生存権対策費用、争議費用の負担など、事実上の勝利を勝ち取る。この支援を出発点として日韓労働者の交流が始まった。全北地域は、穀倉地帯で日本占領時代にはひどい搾取を受けていたこともあり反日感情が強い地域。労働者の連帯、交流により今日がある。
【 くさり11月号より 】